年齢を重ねてきて柔道について悩む事が沢山あります。
個人的に、技術的な事や指導方法が未だ道半ばとはいえ、進歩している実感はありますが、嘉納治五郎先生が教える「本質的な柔道」に沿っているのか、と時折立ち止まります。
世界に柔道は広がり沢山の競技者は増えました。我々指導者がやってることはJUDO選手を育てているだけで柔道家を育ててはいないのではないか、そもそも柔道家ってなんだ?柔道を行っていれば柔道家なのか?
嘉納治五郎先生の柔道の目的とは「身体を鍛練して強健にし精神の修養につとめ人格の完成をはかり社会の貢献にすること」である。
私の考える柔道家とJUDO選手の違いは、
「柔道家」というものは嘉納治五郎先生の「柔道の目的、社会に貢献できる人物」。
JUDO選手は競技者であり試合に勝つことを目的とした「スポーツ選手」。
私達指導者は柔道家を育てなければいけないのではと考えています。
私自身が未熟すぎて社会に貢献できているのか?柔道家といえるのか?
常々考えさせられます。
鈴木道場は試合に勝つことをも大事ですが柔道で鍛練した先にあるものを大事に出来る町道場を目指しています。
死ぬまで修行。柔道家を増やすべく、精進します。